無憂扇きゅう(むゆうせんきゅう)

有限会社くす無憂扇(くすむゆうせん)

くす無憂扇(くすむゆうせん)では、もぐさを利用した温きゅう『無憂扇きゅう』医療器の製造・販売と会員制の保養所の経営を行っております。



会員様の体験発表

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発表者/Tさん

前立腺ガンを克服されたお客様の話

がんの話・・・

二〇一〇年十月、ズーンと重い下腹部の痛み、手で触れて解る卵巣の腫れ、近所の婦人科で精密検査を勧められ、紹介状を持って市民病院を受診しました。結果は、卵巣がん 病期はステージVb 私は四十三歳になったばかりでした。ステージVとは、腹膜内にがんが転移している状態で、すぐに摘出手術はできないとのこと、まず抗がん剤治療をして、がんを小さくできたら摘出手術するという治療方針でした。

TC療法と言われる、タキソールとカルボプラチンの2剤を組み合わせた抗がん剤治療で全身の毛髪はすっかり抜け落ちましたが、3クールの治療で劇的に効果がみられて原発部以外には見て取れる大きさのがんが無くなりました。

手術からTC療法

二〇十一年4月 手術で卵巣から子宮までを全摘出しました。がん細胞を検査すると、未分化胚細胞腫の混合型というがんでレアケースである事が解りました。手術後、CT画像上は、がんは見当たりませんでしたが医師は抗がん剤治療を勧めます。術後の抗がん剤治療は6クールを予定していましたが4クールが終わる頃、引越しが決まり病院を移る事になりました。

転院からBEP療法

引っ越し先で県立がんセンターへ転院すると、医師は『TC療法は間違っている!』『このままでは死にます!』 とハッキリと言われました。
未分化胚細胞腫瘍には、BEP療法と呼ばれるブレオマイシン・エトポシド・シスプラチンの3剤を使用するのが標準的で、その治療を受ければ再発予防効果は60〜90%あると・・・その言葉、その病院、その医師をただただ信じました、信じてBEP療法に挑みました。BEP療法はとても辛い治療となりました。

BEP療法の副作用・・・・

治療により手足は強烈にしびれました。常に皮膚感覚が無く、感触が全く解りません。2クール目以降はこの症状に加えて、指先の皮は厚く剥がれ、剥がれたところがまた剥がれ関節は深くひび割れて、爪も剥がれてきました。さらに、腎臓の機能低下により、むくみがおこり足はパンパンで膝も足首も曲げられず、そのむくみにより体重は6s増加し、骨髄抑制で血小板は回復せず、輸血せざるを得ませんでした。麻薬レベルの痛み止めを常飲し、一時間おきに、さらに強い痛み止めを飲み続けました。
この大量の痛み止めは、手足の焼けるような強烈な痛みを抑える為で、その副作用で常にウトウトと居眠りする状態がずっと続きます。
日常生活は健常な状態からはほど遠く、とても辛いものでしたが、ただただ医師の言葉を信じ、再発予防率の為、毎日を耐え続けました。満身創痍で4クールを乗り切る頃には、肺炎を起こしていましたが、経過観察とされ退院になりました。
退院しても、副作用からは開放されません、書き出し切れないその症状は、大量の痛め止めと大量の飲み薬で凌ぐしか無く、痛みと不自由さに耐え続けるのみです。

間質性肺炎の急性増悪・・・

退院して一ヶ月後の二〇十一年十一月、その副作用の間質性肺炎が悪化します。その日は休日で、主人と外出していました。
呼吸が苦しくすぐに息が切れ、図書館のトイレでは貧血で立つ事できず、買い物先では突然の吐き気、夕方自宅戻っても息苦しさは直りません。
痛みや辛さに耐える事が日常だったので、寝て起きて駄目ならば病院かな?と思ってましたが主人は、私の様子から、直ぐに病院へ連絡して連れて行ってくれました。
こういう判断がその後の命運を分けるものなのですね。私はこの時、間質性肺炎が悪化していて、酸素を体内に取り入れられない状態でした。
間質性肺炎の急性増悪と言うそうです。とても危険な状態な為、すぐに麻酔をして挿菅し酸素を送りながら、ステロイドを大量に投与するステロイドパルス療法を行う事になりました。間質性肺炎の急性増悪からのステロイドパルス治療、多くの人は二〜三日で亡くなってしまうそうです。主人は医師から、覚悟はしておくようにと言われたそうです。ステロイド投与三日目から、肺の曇りはかすかに取れはじめ一週間目には、麻酔から覚めました。
大変な状況だった事を聞かされ、助けて頂いたありがたさに泣きながら医師の手を握っていました。麻酔で寝ていた一週間で、体重は12s減り、浮腫みはすっかり無くなっていましたが色々なコードに繋がれ、酸素ボンベとチューブにつきまとわれ一人でトイレも行けず、何も出来ない事がとてもショックでした。
医師からは『二ヶ月は退院できないよ!』と言わたのですが一ヶ月で酸素ボンベを外せる程回復し、二〇十二年お正月を自宅で迎える事が出来ました。

退院後・・・

抗がん剤の後遺症と寝たきりだった事で、関接は固まり手は握れず雑巾も絞れません。足の指も曲がらないのでスリッパは歩くたびに前に飛んでいきました。体中の関節は可動域が小さく、動かすと痛んで散歩などはとても出来ませんでした。
落ちた体力を戻したくて、仕事終えた主人に付合ってもらい毎日、近所をサイクリングしました。坂道が登れずヘトヘトになりながらサイクリングしていた頃、季節はすでに夏になっていました。

帯状疱疹

その頃、突然わき腹の痛みにおそわれました。ズキンズキン・チクチクする痛みで診断は帯状疱疹でした。痛みと発疹は胸から背中まで帯状に広がり、その痛みは治療後も半年ほど残りました。
帯状疱疹は、体内のウイルスが免疫低下により暴走する事で起こるそうですね。繰り返しなるものではないらしいですが、私の免疫系の機能はおかしくなってしまっているようです。

渓流での体力づくり・・・

二〇十三年の二月CT検査の結果、異常なしの判定がとても嬉しかったこの年、更なる体力つくりを兼ねて、主人と渓流釣りを初めました。車で山深くまで進み渓流へおりると、澄んだ青い水とその渓装にとても感動しました。回復したつもりの身体も自然の中で通用しません。
体力の衰えを痛感し、寝込む事さえありました。それでも絶景の中を釣り上がるのは、とても気持ちがよく、楽しく体力を戻していけました。

再発・・・

九月末にわき腹の強い痛みで、がんセンターに問い合わせをすると・・・『わき腹でしょ? あなたは卵巣がんだったのだから場所が違うよ。他の病院いって!』 担当医からはこんな事を言われ、渋々大学病院を受診しました。
炎症反応が強く即入院になり精密検査の結果、卵巣がんの再発。腫瘍径5pが判明し、再びがんセンターへ戻されました。婦人科から直ぐに腫瘍内科(間質性肺炎を治療をうけた医師)へとまわされ、まった無しで、抗がん剤治療の説明です。
今度はVIP療法という治療で副作用は前回よりキツイと言うのです。その内容は耐え難いひどさで、私にはとても乗り切る自信はありませんでした。
そもそも今年の2月に異常が無かったのになぜ?疑問をその医師にぶつけました。2月のCT検査の結果をみると、素人でもわかる2p大の腫瘍がクッキリ写っていました。『わき腹でしょ? 卵巣がんだから場所が〜』と、言っていた婦人科担当医の見落としです。
その医師は巷で名医と騒がれる医師ですが、私のときだけは『たまたま』だったのでしょうか?怒り、憤り、落胆、恐れ、悲しみ、信じた医師の言葉、再発予防率が高かったはずの治療、あんなに辛い副作用に耐えて、間質性肺炎も乗り切ったのに・・・・私は『のりきる自信がありません』と素直に伝えると、その医師からは、『乗り切れなければ死ぬだけです。あなたが今、生きているのは、抗がん剤治療をやったからでしょ?また治療しませんか?って事ですよ。
何もしなければ余命一年、二回目のお正月はありません』と言われました。そして後日、他の治療が無いかも含めて、決意を持って医師を尋ねました。
VIP療法以外の治療は、さらに強烈でとても挑む気になれるものではありません。そして医師は言いました『これ以外の治療は無い、断るならば緩和ケアへいってください』見捨てられた気持ちになりました。 でも、私はきっぱりと断りました。

なぜ断ったのか

抗がん剤治療ってがんばりすぎちゃ駄目なんですよね。副作用で腎臓の機能が低下して、胸から下がパンパンに浮腫んで亡くなった人。骨髄抑制が強くて、ついには起き上がることすら出来なくなって亡くなっていった人。みんな、がんばりすぎて回復できずに亡くなっていくんです、いっぱい悲しい思いをして、自分も辛い治療を経験して学びました。
痛みと苦しみの繰り返し、点滴を繋がれ病院のベットに寝たきり。三日もすると食べたくなくなる食事、あんな思いはもう嫌でした。
家事が出来て自分のことは自分で出来る、健全な日常を過ごしたい。クオリティ オブ ライフ Q・O・Lって言うそうです、生活の質です。このQOLを高く維持して生きたい、そう思うと、強烈な抗がん剤治療にはもう挑めませんでした。
そして、再発を見つけて頂いた大学病院を受診します。ここではハッキリと完治は難しい事、間質性肺炎をやっているので、使える薬剤は殆ど無い事を言われました。
初発時に奏功した薬剤なら期待できるのでは? との提案でTC療法を決めました。
TC療法の副作用ですが、毛髪は抜け、手足は痺れ、関節痛、味覚障害などなど当然あります。でも使える薬の中では一番穏やかなのです。

びわ灸との出会い・・・

この頃、他の治療を探す為、図書館などで本を読み漁りました。その中で、びわの葉を使ったお灸や湿布などの治療法を知り、この事が常に気になっていました。
再発後2クール目のTC治療を受ける頃、主人の仕事関係の方から、びわ灸で難病がとても楽になった。がんにも有効!という。お手紙を頂きました。
その中に、つや子先生の記事も一緒に入っていました。その手紙で紹介頂いたのは、湯河原の須藤先生でしたが、なかなか行く機会が作れずその間は、びわの葉を買って、電気の温熱器を使ってびわの葉温灸をしていました。

治療断る・・・

2クールの治療で腫瘍は四割縮小しました。3クール目の入院中、その結果を聞いた私は治療を断って帰ってきちゃいました。医師は驚いて、色々なリスクや不安を煽りましたが・・・がんを見えなくするよりも、私にはいかに身体を守りながら、延命できるかが重要なのです。
2クールの治療で副作用は当然出ていましたし、その先もずっと治療を続ける事を考えたら、回数を重ねるのはとても怖かった為です。

湯河原へ 須藤先生・・・

二〇十四年一月 治療を断った後、やっと湯河原の須藤先生の所へ行けました。びわ灸は、何かの手助けになると思いますよ。須藤先生のその言葉は今でも心に残っています。
初めてのびわ灸は、じわーっと深ーく熱が入ってきて、温熱器の熱と全く違うとても気持ちの良いものでした。主人も受けましたが、足の冷えが一度で解消されて、驚きと共にとても喜んでいました。種粉も飲ませていただきました。とても良い物であることを聞き早速注文して帰りました。その際に会員の話を軽く伺いました。また、東京に卵巣がん経験者の先生がいるとご紹介頂いたのが、つや子先生でした。

豊海へ・・・

二〇十四年二月、二回目のびわ灸です。主人と一緒に豊海に来ました。つや子先生に、ご自身の経験やびわ灸について詳しくお話を伺い、施術を受けました。
二回目のびわ灸はとてもとてもあつく、熱をこもらせるように施術を受けるとその暖かさは、いつまでも身体に残りました。主人も施術を受けると、身のよりどころが無いような気持ち悪い場所がありそこを集中的に当ててもらうと、その気持ち悪さがなくなったそうです。後でわかった事ですがその頃、腎臓・肝臓が正常ではない状態でした。でも、その後の施術で症状が改善していきました。
この二回目のびわ灸で私の気持ちは、固まりました。びわ灸は本物! 大丈夫、これならいけると!その日に入会を決めました、二月からの勉強会の参加も決め、私のびわ灸が始まりました。それからは、びわ灸を毎日毎日当てました。

帯状疱疹2回目・・・

休薬していた期間に、頭頂部に突然、痛みを感じました。その痛みは次第に耳までひろがりチクチク・ズキンとするこの痛みは、あの帯状疱疹です!間違いないと思いました。帯状疱疹は度々繰り返すような事は、稀な病気です、やはり私の免疫系は抗がん剤によっておかしくなってしまったようです。この時、私は病院を受診せず痛む場所にびわ灸を当て続けました。一晩当てると痛みは落ち着き、翌日にはチクチクする痛みも残らずすっかり回復したのです。帯状疱疹は通常、抗ウイルス薬で治療します。その薬は効果が出始めるまで三日程かかります。その三日間で、どんどん悪化していきます。
そして薬が飲み終わっても神経の痛みが残るのです。症状が頭部の場合、治療が遅れると視力や聴力にも影響が出ます。そんな怖い帯状疱疹ですがびわ灸は一晩で直しまうのです、その辺の医師には理解できないとても素晴らしい物です。

主人の話・・・

主人はというと、以前から肝臓と腎臓あたりの背中が腫れていて、慢性的な鼻血、脾臓肥大、めまい、車酔いなど、病気の一歩手前の状態でした。この腫れにびわ灸を当てると、『ぞわぞわする、気持ちわるい、吐きそう』と身の置き所の無い様な感じになるとよく言ってました。
何回かの施術で、まず鼻血が出なくなりました。抜け毛も極端に減ったそうです。当てる度に、めまいや車酔いもどんどん軽くなっていったそうです。
当時、サチコ先生に背中の腫れを診てもらい『あなた、いい時にびわ灸に出会ったわね』と言われました。今思えば、ぜんぶお見通しだったのですね。いまでも主人はよくその事を口にします。

副作用とびわ灸・・・

この年、花火大会に渓流釣り、勉強会に箱根の温泉、色んな所に行きQOLを高く維持できました。
これは、抗がん剤を休んだ事、そしてびわ灸に出会えた事で実現できました。秋に入る頃、ゆっくりとはいえ私のがんは、少しずつ大きくなってきてしまいました。びわ灸もがんばっていましたが、また抗がん剤の治療をする決断をしました。
退院後にびわ灸を当てると、副作用の関節痛や味覚障害が穏やかになりました。食欲もすぐ戻るので回復がとても早く、毎日当て続けて治療に挑みました。
この頃から、抗がん剤の効きが衰えてきて腫瘍が期待するほど小さくならない為、治療回数を重ねて効果を期待するのですが、回を重ねると副作用がひどくなります。でも、びわ灸をすると、ひどいはずの副作用を穏やかに抑える事ができるのです。
不思議でした、とても医師には理解しがたい物だと思います。でも凄いんですびわ灸は!

びわ灸の力・・・

断続的に抗がん剤治療をしていく中で、びわ灸の抗がん効果を痛感する出来事がありました。
二〇十四年五月 私は治療入院中に発熱して入院が長引いた時がありました。
びわ灸を当てられない日が続きました。その時のCT検査で出た結果は・・・・抗がん剤治療をしていたのに腫瘍が1pくらい大きくなってしまいました。
この時ハッキリ解りました。私の身体は、びわ灸と種粉によって、がんの成長を抑えていたのです。

私のがん、他に治療法はないの?・・・

私の腫瘍ですが、腎臓と肝臓の間に7p弱、肝臓上部に2p、骨盤内に4p弱の物があります。手術をするには、肋骨を外して、浸潤した肝臓ごと切除が必要になるそうです。骨盤内も含めてすべてがんを取り除くのは、とてもリスクが高いです。また放射線治療も模索しましたが、腫瘍が大きく広範囲に点在する為、健全な臓器へのダメージを考慮すると良い方法ではありませんでした。
今は、びわ灸とハイパーサーミヤと呼ばれる温熱療法、断続的に抗がん剤治療をしています。それでも少しづつ大きくなって来ていますが、びわ灸を続けることであちこちに転移する事も無く、どうにかおなかの腫瘍と共存できています。

医師は過信しない・・・

主人はいつも様々な事を、全て調べてくれます。そして私がどうしたいのか?を常に考えてくれます。疑問に思う事はどんな事でも話し合い、決断の時には背中を押してくれます。
今は、治療を医師任せにはしていません。医師を過信するのは愚かであると学びました。
過去に医師の言葉を信じて行った抗がん剤治療は、本当にやる必要があったのか?治療をやめていたら、間質性肺炎は起こらず、薬剤の選択肢も狭まる事は無かったのでは?経過観察でがんを見落とす医師、電話で他に行けという医師、信じるのに値したのでしょうか?医師任せにして、重要な決断をするのには浅はかで、あまりにも無知であったと今は思います。
抗がん剤治療を休む決断は簡単でありませんし、勇気が必要です。サポートしてくれる家族の理解と協力は不可欠ですし、医師と話あえるほどの、病気に対しての理解も必要です。もっともっともっと大事なのは、種粉を飲んでびわ灸を当てる事です。疲れていても、忙しくても、痛くても、苦しくても・・・びわ灸を当てるのです。『びわ灸は何かの手助けになると思いますよ』初めてのびわ灸で須藤先生に言われた言葉。毎日とっても助けられています。

びわ灸の技術・・・

でも、難しいんですよね・・・・『熱をこもらせるのよ!』つや子先生はいつも言います。何度も当てて頂いて、どんな質の熱なのか解っているつもりなのですが、中々できないのです。物足りない熱さというか、ジワーーと深くゆっくりと伝わってからアチッ!ってならないのです。温度を上げようと、もぐさを出すと、熱くて熱くて数秒しかあてられません。主人曰く『ツヤ子先生は、常人離れした気を持っているから、同じようにはムリなんだよ!』と言っていたくらい、同じようにはできませんでした。でも秘密は他にもあったのです。

もぐさの秘密・・・

先日、一年ぶりに参加できた勉強会で、もぐさ詰めの勉強をしました。なんかコツ的なお話かしら?と思っていると・・・・もぐさをシッカリ握って圧縮し、紙管に指で押し込んでいく。指でシッカリと詰め、山盛りにしたもぐさを最後にマジックでシッカリと体重をかけて押し込む。マジックで押すのは一回だけです。それは、もぐさを紙管の中でバラつき無く均一な密度に仕上げる為です。この方法で詰めたもぐさのびわ灸は、熱さの質が違いました。ジワーーと深くゆっくりと熱が伝わってからアチッ!っとなるのです。温度も安定するので、出す量も2o程で火種が長持ちします。これなら自分で『熱をこもらせる』事が出来る!そんな感動がついこのあいだのことです。

心強きびわ灸の先人・・・

びわ灸を通じて、難病やがんと共存、克服した方々に出会えた事がとても嬉しいです。どこかに居るとは思っていましたが、やっと出会えたと思いました。すごく励みなります。頑なに医師を信じ病院で治療をしているだけでは、決して出会えない人達です。
つや子先生には、本当にお世話になりっぱなしです。
年明け早々、私は車の運転中、交通事故に遭いました。
交差点で信号無視の車に衝突されそのまま電柱に激突し車は大破ました。あちこち打撲に捻挫、右膝の骨にもひびが入っていました。その時もつや子先生は、膝全体が真っ赤になるまで当てるように言われました。私が困っている時や辛い時、どこかで見ているのかと思うタイミングで連絡を頂きます。とっても心強くて有難いです。
以上が 私の体験とびわ灸への思いです。

おわりに・・・

びわ灸に出会ってから、もう2年になります。
がんセンターの医師が言った余命もお正月も過ぎました。これから沢山びわ灸を学び、大切な人に当てたり、辛い思いをされている人に伝えたりびわ灸をもっと活用していきたい、もっと役立てたいと思っています。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。

追記

がん医療と医師への不信感から、私と主人は様々な事を学び治療の可能性を模索しました。その結果、それまでの『価値観の殻を破る事』が出来て、『びわ灸に出会えた』と思っています。以前の価値観では、びわ灸を知る機会があっても気にもしていなかったでしょうし、誰かに進められても体験もせず否定していたかも知れません。
日本の医療は素晴らしいです。その医療すべてを否定するのは、とても愚かだと思います。でも素晴らしいからといって過信、妄信はもっと愚かです。代替医療も同じです。何かを選んで失敗するとすべてを否定する人も沢山いるようですが、それはとても残念で視野を狭くするだけです。
私と主人は、無知、思い込み、誤った知識などから物事を見極める視野は狭かったなぁと思います。価値観の殻を破るのには、辛い経験も必要だったのかも知れません。
私はびわ灸に出会う頃から、あれこれ色々な事を取り入れています。びわ灸に比べれば、効果的には微力な物もありますが、相乗効果は計り知れません。サプリメントや代替医療、民間療法を知りもしないで全否定する医師も沢山います。ですが、医師も治療も見極めて選ぶのは自分!自分の選択を信じれるかは視野の広さが重要です。失敗を恐れてなにもしないより、やって学ぶ事が未来を変える事に繋がると思います。
『びわ灸は、何かの助けになると思います』この事が沢山の人に伝わる事を心から願います。

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