無憂扇きゅう(むゆうせんきゅう)

有限会社くす無憂扇(くすむゆうせん)

くす無憂扇(くすむゆうせん)では、もぐさを利用した温きゅう『無憂扇きゅう』医療器の製造・販売と会員制の保養所の経営を行っております。



会員様の体験発表

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発表者/堀 恵里子 先生

5期生 通称えりちゃん。大分市在住
毎月の月例勉強会・特別講習会は17年間の間で休んだのは入院中の数カ月だけというガンバリ屋さんです。

私のびわきゅう人生

1988年 24才頃

ひどい頭痛が続く。朝起き上がるのが辛く、職場でイスに座っていられないくらいでした。
近くの脳外科で検査したが異常はないとの診断でした。
事故で首を痛めたことがあったので、ムチ打ちが原因かと思い整形外科、整体、カイロプラクティクス、鍼灸など色々通ったが改善しません。

1991年6月 27才

鍼灸と温泉療法で入院していた病院で、脳の検査を勧められ、脳下垂体腫瘍と診断されて、現、大分大学医学部で手術を 受けました。

1992年 28才

頭痛は改善されず再入院して、放射線治療を受け、副作用で食事が摂れないほどの吐き気で辛い日々でした。体調不良のまま退院して、復職するもリストラに遭い、健康と職場を同時に失い、失意のどん底のまま帰郷し自宅療法に努めました。

1995年 31才 びわきゅうと出会う

自宅の近くで行っていた医療機器の体験会場で藤原先生と出会い、その器具を購入し、また、びわきゅうも勧められ、施術を受けました。頭痛と不眠が続いていたので会員になり、毎日、自分で4時間は当てて、週1回は藤原先生の施術院に通いました。

1996年 1月

突然、大量の鼻水がポタポタと流れ出し、原因が解らないまま半月ほど一生懸命びわきゅうを当てていました。
そんな時、風邪をひいたのでびわきゅうをお休みしたところ、後頭部をハンマーで殴られたような激痛がおこり、近くの病院で検査をしたら、頭蓋骨の中の脳を浮かべている髄液が漏れているのが判明しました。
半月も髄液が漏れていたので、頭蓋骨の中は、空気の泡だらけでした。空気と一緒に雑菌が入って髄膜炎になっていてもおかしくなく、生命にかかわる状態でした。大事に至らなかったのは、びわきゅうの殺菌作用だったと信じています。
また入院し手術、再度の髄液漏れ再手術を受けました。結局、4回の入院、3回の手術、1回の放射線治療受けました。

2003年 6月 39才

サチコ先生が永くお付き合いをされている安永医院にはびわきゅう科があり、担当者が退職するので、私に勤めるかとの打診がありましたので、勤まるかどうか心配でしたが、思い切ってお願いしました。
頭痛は続いていましたが、体調は少し改善されていました。
毎日、8時間、一人20分で多い日は24人当てました。頭痛なんて考えている時間がなかったです。

2007年 4月 43才

4年間勤めた安永医院が突然閉院し、ショックを受けました。すると頭痛が今までよりも悪化し、激しい過呼吸の発作が出ました。生活のためびわきゅうの自営を目指すことを決めました。

2011年 現在

今、びわきゅうで自立して頑張っています。これも安永医院で育てて頂いたものが大きな力になっています。
びわきゅうと出会っていなければ、今でも頭痛に苦しみ引きこもりの生活を送っていたかもしれません。
びわきゅうのお陰で私が救われたように、病気や痛みに苦しむ方の力に少しでもなれたら・・・・・・。
びわきゅうを一生の仕事として、80才まで、体が動くなら90才まででも続けていきたいと思っています。

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