無憂扇きゅう(むゆうせんきゅう)

有限会社くす無憂扇(くすむゆうせん)

くす無憂扇(くすむゆうせん)では、もぐさを利用した温きゅう『無憂扇きゅう』医療器の製造・販売と会員制の保養所の経営を行っております。



会員様の体験発表

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発表者/倉地 健士 先生

60期生(1998年11月)
年齢43才 血液型O型 在所 福岡県豊前市 趣味 歌を歌いながらドライブ、温泉
父も僕の三年後に入会

十五年間の反省 これからの十五年

約、十五年前

藤原先生に 母の腰の痛みを取っていただく(「びわきゅう」を初めて知る)

藤原先生と出会う二ヶ月位前、母はコンクリートの上で転倒し、尻もちをつきました。かなり痛みがあったが、何とか生活できました。そして、2ヶ月経過した頃、歩けない程の激痛が母の大腿部に発生しました。初めて経験した激痛なので、どのように治療すれば良いのか、家族みんなうろたえてしまいました。

何とか整形外科や二~三か所の整体に行ったが、痛みが取れません。母は「生け花」の先生をしているんですけど、ある日、生け花の知人より「びわきゅう」のことを初めて聞きました。

そして、運命の藤原先生との出会いとなりました。三日に一回位の割合で、合計四~五回の施療を受けて、母の痛みは完全に取れました。
母の痛みの元は腰にありました。一回目の施療は、探るようにびわきゅうを当てて頂き、そして腰のその部位に器具を置いた瞬間、激痛があり母はふとんから逃げようとしたそうです。
「ちょっと辛抱して」と先生からアドバイスを受けながら、母は必死で一回目の施療を終えました。
そして二回目の施療で、三日前その激痛があった部位に器具を置いたところ、母は痛みに耐えられるようになっていました。
「今日はふとんから逃げないね」と先生から言われ、「あ、そうだ」「本当だ」。母は人生で初めて味あう劇的な感動の瞬間だったそうです。

あれから十五年、母の痛みは全くなく元気に生活しています。
もし十五年前、中津で藤原先生に出会っていなかったら、母は今だに足を引きずっていたかもしれません。
藤原先生、大塚サチコ先生流「無憂扇きゅう」、誠にありがとうございます。

僕も「びわきゅう」を初体験(藤原先生との出会い)

母がきっかけで、僕も藤原先生の五十分間の施療を初体験しました。最初で最後の貴重な体験でした。
無憂扇会入会の二週間位前に、藤原先生に大相撲福岡場所に来ていた佐渡ヶ嶽部屋に施療体験、見学に連れていっていただき、その当時、幕内力士だった琴龍関を当てさしていただいたり、写真を撮ったりしました。その写真は今も施術室に飾っています。

1998年11月無憂扇会に入会

二〜三ヶ月後、自宅にて無料体験会を開催したりして、開業の準備を進めました。

約半年後、自宅にてオープン

東明さんや字室さんなど、中津の先輩会員が応援に来てくださる。
近所の知人、農家の方、チラシを見て知ったお客さんなどにより、まずまずのスタートでした。
しかし、二週間目あたりより、低迷し始めた。
施療の仕方がワンパターンなのと、力加減がもの足りないことなどからか、一回施療に来たきり、二度と来ないお客さんが多かった。数人のお客さんが、義理のような雰囲気で 月に一回位のペースで、来てくれた。

約半年後

ある宗教に通い始める(商売繁盛の為、軽い気持ちで始めた)
しかし、徐々にその宗教にやりがいを感じ、その後約十年間、通い続けた。 その結果、日常の時間を宗教に費やし、「びわきゅう」の勉強はおろそかになっていた。まっこと、僕はバカじゃった。
バカであることに気が付かないくらい頭がマヒしていました。
※北九州の踊りを覚えたのは、その宗教がきっかけです。

約三年後

藤原先生が大分に引っ越すことになり、中津の店を引き継ぐことになった。
一国一城の殿様になった気分だった。しかし、数日たつと、一回来たけど、二度と来ないという状況になっていった。数人の方だけ来てくださった。実は、その頃も宗教に時間を費やしていた。

約四年目

精神的に自分の世界に引きこもるようになり、本部の勉強に参加しなくなる。まっこと、僕は、どうしようもないバカじゃった。こんな、マイナスな性格ですけど、一方で、皆さんの前で北九州の踊りを踊ったり、スギノイパレスの舞台で美空ひばりの「愛燦燦」を歌ったり、ハローデイの加治会長の後ろで踊ったり・・・。
自分で自分がわからない部分があります。

約十五年後

ふと、父母の老後が心配になった。日に日に、心配が大きくなり、僕は、夜が眠れなくなり、なんとこの僕が、ご飯が食べれなくなった。
一〜二週間、僕なりに必死に考えて、「よし、「びわきゅう」で父母の健康管理をしよう」、「よし、本部に行って「びわきゅう」の勉強をし直そう」という考えがスーと自然に頭に浮かんできました。
※お釈迦さまからの助言かもしれません。

2012年3月

中津勉強会に復帰

同年4月

本部に復帰、「虎の穴教室」に入塾、日田や長行など地方会場に出稽古に参加。

これからの十五年間のマニフェスト
一〜二年後

我流を全て改善し、王道(本物)の施療を身に付ける。

四〜五年後

毎月八十人位(次の目標百人、百二十人)のお客さんを持ち、年収を増やし、そして体重を20kg減らし、そして、結婚します。(だけど、本部のご飯はおいしいので、おかわりをさせてください)

十年後

藤原先生が中津で営業されていた頃に、匹敵するお店を運営します。

十五年後

サチコ先生や藤原先生の教えを守り、先輩会員を敬い、椎葉君や井上君たちと力を合わせて、「無憂扇会」をしっかり盛り上げていきます。
さあ、大変なことになりました。もう取り消すわけにはいきません。
明日から、このマニフェストを自分の部屋の壁に貼り、毎日必ずこれを声に出して読んで、取り組んでいきます。

ちょっと、思い付いたこと

「無憂扇会」の心得、「目くばり、気くばり、心くばり」、
元NHKアナウンサーの鈴木健二さんの「気くばりのすすめ」を連想しました。鈴木さんの説は、「気くばり」は、さりげなく、他人さんに親切なことをすること。
ですが、その前に、自分自身に気を配る必要があるそうです。
自分の得意なもの、苦手なものを把握し、苦手なものは、空き時間にしっかり練習しておく。まさに、「びわきゅう」に当てはまりますね。

一回目の発表(約十年前)から

「心身症」(うつや心の病)は、治る希望がある。
1つの例「森田療法」森田正馬(1874〜1938)東京大学医学部卒(神経質症の治療に独自の療法を創始)
例「とことん・・・」、「とことん 苦しむ」「とことん 悲しむ」など。
上級指導員の勉強会で、
「陰陽説」で
@「陰極まれば陽となる」
A「陽極まれば陰となる」と、プリントに書いてあったと思います。これに、当てはまるなぁと、思います。

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