無憂扇きゅう(むゆうせんきゅう)

有限会社くす無憂扇(くすむゆうせん)

くす無憂扇(くすむゆうせん)では、もぐさを利用した温きゅう『無憂扇きゅう』医療器の製造・販売と会員制の保養所の経営を行っております。



会員様の体験発表

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発表者/大久保 佐和子 先生

134期生(16年3月)三重県の南、紀北町で生まれ育ち、高校は高校野球で有名な奈良智弁学園を卒業後、名古屋の看護大学を卒業され看護師、保健師を経て26歳で結婚。
現在2男1女の子供に恵まれ、大学の保険管理室の保健師として活躍し今月退職しました。

ミラクルな体験

私の椎間板ヘルニア

無憂扇会とご縁をいただいたのは、今から九年前の二〇〇四年の六月でした。

当時、私は名古屋市訪問看護ステーションというところでお年寄りの方の入浴介助など、訪問看護師の仕事をやっていました。仕事を始めて三カ月半経ち、受け持ちケースが増えはじめた頃でした。明け方五時頃、自宅で寝ていた時、腰の激痛で目が覚めました。整形外科に行ってすぐに受診、第四・第五腰椎の椎間板ヘルニアとの診断でした。

第二子出産後にも椎間板ヘルニアにはなったことがあり二度目でした。寝ていても激痛で眠れない。整形で電気治療すると頭痛がしてとても苦しい日々でした。ようやく歩けるようになり、引きずる足で職場に近況報告に行った帰りに、エレベーターを待っていると、西井さんが私を追いかけて来ました。そして西井さんは「大久保さん、私おきゅうが出来るのね。怪しいものではないし、おきゅうすると痛いのが楽になるから一度してみない?いつなら予定あいてる?」というようなことを言われました。

西井さんとは、仕事場では挨拶程度しかしたことがありませんでしたが、私はその時、整形に通ってもなかなか良くならず困っていたので、迷うことなくおきゅうをお願いしました。

はじめてのおきゅうはとても気持ちが良く、痛みが楽になりました、その日の夕方、好転反応が出て起きていられないくらい眠くなったことを覚えています。

それからは週に二回そして痛みが減ってきてからは週一回へと半年以上おきゅうをあててもらいました。その後、西井さんにあててもらえない時に自分であてれるようと器具も購入しました。本当に根気よく施術を受けました。そして痛みも落ち着いてきた頃、西井さんに研修会への参加をすすめられました。でも、大分は遠いし、行ったことも無い場所、私は、なかなか行く決断ができませんでした。

ある日、西井さんからこんなことを言われました。「私がしたおきゅうで大久保さんの腰の痛みが楽になったでしょ。そのことのお礼を私にはいらないから、あなたみたいに痛くて困っている人におきゅうをしてあげていってほしい」というような内容でした。そして研修会に二〇〇六年三月参加しました。

余談なのですが、その研修会に参加した次の月から、主人は東京本社に転勤になり、もう少しあとに研修会参加を予定していたら、私は子供を見てもらう事が出来ず、参加できないところでした、凄いタイミングで研修会に行けた次第です。

無憂扇会の研修会から帰ってからは、もっぱらテニスで腰が痛い二男におきゅをしていました。その後は母、叔母、舅や紹介していただいた方に細々とあてさせていただいています。そんな中でびわきゅうは凄いなと感じたことを三つほどお話ししたいと思います。

姉の乳がん

ある時、毎年子宮がんの検診を受けていた私の姉が、婦人科のお医者様の勧めで乳がんの検診を受けたところ、再検査になり、それが初期ガンとの診断で、翌月に手術すると電話してきました。その時、私は姉を助けたい一心で、お正月から姉を名古屋に呼びよせ、おきゅうをしました。その一回目のおきゅうの時、びっくりしたことが起きました。

おきゅうをあて熱が入ってきた頃です、乳房の一部分の色が変わって2センチほどの円形に浮き出てきたのです。慌てて姉に鏡で見せると、その場所が手術で取る予定の場所だと言うのです。本当にびっくりしました。

次の日のおきゅうの時にはもうその場所の色は前日のようにはなりませんでした。あれは何だったのでしょう?造影剤検査の後だったのでそれが浮き出てきたのでしょうか?今でも不思議です。

他には、リンパに転移しているといけないので脇の下にもしっかりおきゅをあてました。入院の前日にも、私が横浜まで行きおきゅうをあてました、おかげさまで姉の手術は転移も無く無事終了、腕が腫れることもありませんでした。また、リンパを取らずに済んだので、腕も上げるのに困ることもありませんでした。本当におきゅうのすばらしさに感謝です。

私のひざ十字靱帯断裂

そして二つ目の出来事は私自身です。お正月に家族で白馬にスキーに行った時、まだ滑るのに不慣れな娘にスキーを教え始めたその時です、娘が私の膝の上に転んでしまいました。その時、私の膝はバキッと凄い音がしました。スキー場の診療所で診察・レントゲンを撮り、骨折疑いでギプス固定し帰宅し、翌日名古屋の病院に受診すると、診断は骨折ではなく、左前十字靱帯を一本断裂で松葉杖生活になりました。整形外科で骨折と言われなかったので私は、数日後からは朝・夕と像の足のように腫れた膝にガンガンおきゅうをしました。

そのお陰か、おきゅうするたびに腫れも痛みもぐんぐん減り、すぐに仕事にも行けるようになりました。一週間を過ぎた頃には松葉杖から一本杖でも歩行できるまでになりました。すごいスピードで回復したわけです。

そんな通院しているある日、主治医の先生にレントゲンとCT・MRIで気になることがあるので大学病院に紹介状を持って受診するよう言われました。内心、私は骨のガンにでもなっているかとびくびくしながら診察に行きました。診察が済むと、大学病院の教授から「大久保さんは骨が年より若いみたいだね。骨の細胞が活発に働いていてそれが陰になって黒く写ったみたいだね。」と言われました。ほっとしました。この時、お医者様にはおきゅうを当てていることは言いませんでしたが、これはおきゅうの効果だと実感しました。

また膝の靱帯を痛めると正座が出来なくなることが多いのですが、お陰さまで、私は今も正座できています。同じ怪我をした人には正座できると言うとびっくりされます。

犬の肝臓がん

さて最後のケースは姉が飼っている犬です。ミニチュアダックスと言う犬種ですが、生まれてすぐから膵臓が悪く、体調を崩しがちの犬でした。いつもより食事を残すようになり、また膵臓の病気が悪化したのだと受診したところ、肝臓におできが出来ているので手術するよう言われ、獣医さんに言われるままに手術を受けました。ところが、おできに血管がたくさん出ていて腹膜と切り離せず、取ることが出来ず、そのままお腹を閉じてしまいました。獣医さんからは余生を楽しく過ごすよう言われたと、姉はとても気落ちしていました。

ペットも一緒に暮らすと家族です・・・

それを聞き、また私はおきゅうを犬に当てに姉のいる横浜まで行きました。すぐそうしたのには理由がありました。以前、姉の乳がんのおきゅうをしに行った時、その犬が姉の隣に横になっておきゅうをしてほしそうにして、少し当ててやったことがあったので、今回も必ず当てられると確信がありました。

案の定、犬は、おきゅうを当てていると眠そうに眼を細めたり、まるで「ここに当てて」と言っているかのように、当てて欲しいとこに体をよじって動かしてくるのです。姉もおきゅうの器具は以前の乳がんの時買って持っていましたので週に二、三回でいいから、犬のお腹におきゅうを当てるように教えて名古屋に帰りました。そして数カ月したころだったでしょうか、獣医さんでエコー検査したところ、犬の肝臓のおできは小さくなっていました。獣医さんも不思議がられたそうですが、おきゅうを当てていたことは姉も言わなかったとのことです。

無憂扇きゅうは、本当に素晴らしい効果があります。多分皆さんもこのようなびわきゅうの体験は沢山されていると思いますが、どうでしょうか?

無憂扇きゅうを広めたい

困っている人には、本当に一度でよいから無憂扇きゅうを体験してこの良さを知ってほしいと思います。ただ、無憂扇きゅうもご縁があるように思います。おきゅうを当てれば楽になるのにと思っても、初めの声がかけにくかったり、お話ししても嫌だと言う人もいます。それにおきゅうは決して万能ではありません。おきゅうを当てていても残念ながら亡くなってしまう人もあります。

私は一時期、医療に従事していたこともあり、命には限りがあるということを何度も感じてきました。でも西洋医学でできないことを東洋医学が助けてくれることもあります。

私の母は八十九歳で九月には九十歳になりますが、よくおきゅうを当てています。母は二年前に転んで立て続けに骨折しました。太っていて、体重がかかるせいで膝が痛く、いつも足が腫れていましたが二年間おきゅうをあてていたら、最近は腫れも少なくなり「私は、佐和子のおきゅうで命を長らえている。」とよく言います。その言葉を聞いて私は思います。

体のどこかがいつも不調だったり、腫れたり、痛かったりするのはとても辛い事です。そういった人の助けにおきゅうがあり、自分はそのおきゅうのお手伝いが出来る人でいたいと・・・。

また、余談ですが、田舎の開業医だった私の父は晩年、週に二日間午後から針治療をしていました。私は、三人兄弟の中で一番勉強ができなかったので、父のように医者になることは無理でしたが、父が残してくれたお金で七年前の研修に参加することができました。また、結婚したばかりの時、主人が失業していて、ある方のところに夫婦で相談に行ったことがありました。その時、その方に「おきゅうとか、マッサージとかが仕事に向いてまいすよ」と言われました。その時は主人が失業していて、私は仕事を持っていたので、てっきり主人がおきゅうをするのがいいと言っていると思っていましたが、今は、あの時のおきゅうの仕事をしたらと言われていたのは、自分だったのかなと思うようになりました。

先日、アナザースカイというテレビ番組に、女優の満田久子さんが出演していました。見た方はいらっしゃいますか?彼女は私と同い年です。彼女は四十九歳でイギリスに単身、語学留学していたのだそうです。彼女はその時、一番大切なのは感謝の気持ちだということ、悔いのない人生を送るにはやりたいと思う事を見つけること、自分が動かないと出会いも無いと気が付いたこと、そして出会いは財産だと言っていました。私も同い年の満田さんのこの言葉、本当だなと思います。皆さんもそう思いませんか。やりたいと思うおきゅうを見つけられた私は、とてもラッキーです。そして皆さんもそうではありませんか?

七年前の研修会で修了証書を頂いた時、皆さんの前で一言と言われた時、自然に「十年後にはおきゅうのおばちゃんになりたいです。」と言ってしまった私です。あと三年で別府の研修から十年になってしまいます。私は、これからも三重の勉強会にもちょっと遠いけれど頑張って通い、また三回四回と、この玖珠のセンターに来て皆さんと勉強できるよう「精進努力」というとちょっと堅苦しいですが、していきたいと思います。

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