無憂扇きゅう(むゆうせんきゅう)

有限会社くす無憂扇(くすむゆうせん)

くす無憂扇(くすむゆうせん)では、もぐさを利用した温きゅう『無憂扇きゅう』医療器の製造・販売と会員制の保養所の経営を行っております。



会員様の体験発表

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発表者/阿部 裕貴 先生

ハローディ新宮店無憂扇きゅう院長としてお母さんと共に活躍。
結婚後、益々施術にも脂がのりお客様の信頼も厚く、
後は早く二世を待ち望むばかりかりでしょうか。

私、頑張ってます!

入会してからちょうど十年目になります。
二十三、四歳だったのですが、十九歳の時に先天性のくも膜下出血で倒れました。

父親と仕事をしていて夜に、風邪のような症状で早めに寝ようと思っていると、頭ががんがん痛くなってすぐに意識が無くなりました。後から聞くとベットの柱に頭をゴンゴンぶつけていたそうです。

父と周りの人が押さえて止めてくれて救急車で佐世保の中央病院に運ばれました。ちょうど対応出来る先生がいて、右の動脈が切れていたのですが、最初の話では70%はアウトでしょうとの事で、もし助かってもベットの上か車椅子の生活になると言われていました。
奇跡的に意識を取り戻して、ICUに一ヶ月半ぐらいいました。最初は言葉が出なくて混濁した気持ちがありました。

症状が残ったのは今でもこうやって言葉が詰まるのは失語症といって言葉を忘れるのです。自分が話したい事が言えない。それがずっと続いていて、ご飯を食べる時に「マヨネーズ取って」と思っているのに「爪楊枝取って」と全く違う事を言ってしまったり。目は今も半分見えません。

先生から日記を書くと失語症に良いと言われて、病院では食べて寝て検査の毎日だったので、朝昼晩の食事を少し時間が経ってから思い出して日記に書いていました。

それと小学校一年生からの算数と国語のドリルをやっていました。十九歳で高校を卒業したばかりだったので周りの友人は遊びたい盛りなのに、自分の状況を考えると死んでいたら良かったとも思いました。

脳の障害の人は必ずと言うほど、特に若くて重症の人には痙攣が出るのです。自分も何度か意識が飛んだりしました。

父や周りの人達の協力で九州で良いと言われるところはあちこち行きました。くも膜下のリハビリは一年が勝負と言われています。

一年でどうにか歩けるようになりましたが左半身麻痺もあったので、普通に歩いていてよく転んだり、目が見えないので人にぶつかるし、見た目は変わらないので、変な人だと思われ何度か警察にも行きました。

病院のリハビリ以外に屋上で、車椅子を置いてフェンスに伝わりながら全く歩けない状態から歩く練習をしました。今日はどこまで歩けるか。車椅子まで戻らないと意味が無いので、一周するまでに半年ぐらいかかったと思います。毎日雨の日以外は歩いていましたが、そこまでしてもこの状態か、と思ったり。
でもまぁ生きてるから良いかと思うようにしていました。

それから諦め半分と仕事が出来ない時間があって、陽君が僕の二従兄弟になるのですが、陽君のおばあちゃんにびわきゅうを勧められて、二、三日泊まりに行くつもりで出かけました。
ばあちゃんは、びわきゅうの良さを話きれないんですよね。

その時は、勉強を始め出して少し経ったくらいの方だったと思うのですが、丁寧に頭から脊髄を通して仙骨まで二時間ぐらいあててくれたのです。初めての人はだいたい一時間ぐらいからあてないと好転反応が出やすいですよね。
終わってぱっと立った時にはすごく楽だったんです。今まで色々な所行ったより一番。

それが家の前に川があって橋が架かっているのですが、歩き出してグラグラッときて橋の手前で落ちそうになって三十分ぐらい固まっていました。ばあちゃんに最初は良かったけどこうだったと言うと、「一回二回じゃわからん」と言われ、陽君のばあちゃんには内孫の様にかわいがってもらっていたので、断りきれずに二回目もしてもらうとまた同じ事になりました。

もう本当に嫌だったので、断ろうと思ったのですが、「明日帰るならもう一回してもらい」と言われて三回目に劇的に変わったんですね。整体してもらって気持ち良かったというのとは違って、ずっとあった左の背中の違和感が一日だけだったんですが無くなって、その日は倒れる前の気分になったのです。すぐに父母に電話してそこから各勉強会場をまわってあててもらいました。

サチコ先生は覚えてないと思いますが、ちょこっと僕の所に来てあてている人に、「こことここをしなさい」と言ってむちゃくちゃ痛かったのですがあごのところをぐいぐいあてられて、偉い先生とは知らなかったのでびっくりしました。してもらうと、呼吸が楽になったり、目がぱちっと開いたりしてこれはきちんと勉強すると良いのかもしれないと思いました。それからセンターに父母と一緒に来たのですが、僕は最初は臆病なので信じきれないのです。でもここまで来て中途半端にするのも失礼だという気持ちがあり、サチコ先生の「半年ぐらいしたらなんとかなるかも」という言葉があったので、仕事が出来ないので毎日、後頭部を中心におきゅうをしていました。

三ヵ月半ぐらい経った時に、見えなかった目が見えるようになったのです。視野が広がったのですね。そして信じようという気持ちになって、今こうして会員にならせて頂いてます。

今、僕は福岡県のハローデイ新宮店でびわきゅうの店をやっています。そこに来られているお客様の症例をお話します。

一人目は斜頚の男性で七十五歳です。この方は会員さんの紹介で来られました。初めて来られた時は体が震えていて、顔もきつい表情でした。多分体がきついせいだと思うんですね。今までに見た斜頚の人の中で一番すごい人で、どうしようかと思いました。

週に一回は必ず来てもらうようにしました。半年はほぼ変わりませんでした。考えて震えが一番たいへんだろうと思いました。
その方は首が痛いのでブロック注射をするんです。注射をしている所は皮膚が薄くなっていて弱くなっているので、低めの温度で早めに器具を離してあてないといけないのですね。その方に「お家では何をされていますか」と聞くと「ご飯食べる時以外は痛いので寝ている」と言われました。「夜ご飯食べたらすぐ寝る」と。十ヶ月を過ぎた頃にご本人が「最近良いんです」と言われたのです。

半年過ぎてもあまり変わらなかったのですごく嬉しかったのをはっきり覚えています。
一年経った頃に「これからどうしましょうか」と聞くと「命預けてますからお願いします」と言われ、一年を少し過ぎた頃「夜ご飯の後、テレビを見たりします」と言われました。二年目に入るとどんどん体が変わって来たのです。ブロック注射を打っていた皮膚も普通の状態になってどんどんあてても大丈夫になりました。震えもだいぶ止まってきて、僕と由美枝さん(母)と三人の時は止まっています。他のお客様と一緒になると震えが出ます。緊張だなというのがよくわかります。

母もおきゅうをしています。斜頚とは、妊娠中にお腹の中で圧迫されたり、逆子が原因でなるそうです。この方は二十代前半の頃に少し斜めになったりしたことがあったそうですが、ここ三年位に急激に症状がでたそうです。今は元気にされています。

次にご紹介するのは、一級建築士の方で、この方もストレスとかがあったと思うのですが、顔面麻痺です。病院では「半年ぐらいは良くなるのにかかると思います。でも半年経っても治らないこともあります」と言われたそうです。来られた時は目が開きっぱなしで、口も開けっ放しなので、もちろん食べ物や飲み物はこぼれます。顔面麻痺のお客様をあてたことが無かったので、事前に調べてみると、内耳や三叉神経のあたりの血管が神経を圧迫しているのではと思って、そのあたりをあててみようと思いました。
一番辛いのは何かと聞くと、目が開きっぱなしが一番辛いとの事で、まずは目を閉めれるように視神経と眼点穴、目の周りを丁寧にあてました。すると何とか瞼が動くようになりました。また状態が戻るかもしれないので、日にちをあまり空けないで来て下さいと話をして、五日後に来てもらいました。

するとあれ以来目が開きっぱなしにならなくなったとの事だったので、今度は口をする事にしました。口が閉まらなくて呂律が回らない感じでお話も聞き取りにくかったです。二回目、三回目は口周りをしました。開きっぱなしだった口が戻って来て話し声も聞き取りやすくなりました。

一ヶ月ちょっとの間に五回来ていただいて、病院でほぼ完治と言われる状態になったので、びわきゅうはやってみないとわからないけど、すごいなぁと自分でもびっくりしました。

三人目は僕が働いている店がある新宮のハローデイ(スーパー)でお仕事をされている女性の方です。
この方はびわきゅうが大好きで三年間、毎週二,三回来られる方です。首と腰が悪く、首は病名がついていないのですが腰は狭窄症です。

最初は腰は色が悪くておきゅうをしても赤くならない。足元が痺れる。狭窄症の痺れ、痛みの流れは太腿の外側から痺れて足の裏の土踏まずから親指の方に左足が痺れていました。今では痺れはほとんど出ません。

首はお仕事と家事をされて腫れていました。ずっと来て頂く中で、お客様に飽きが来ないように何を話ししようか。どうしたらお客様のためになるのかを考えて、その人が気付かない些細な事も伝えようとしています。

例えば、今日はおきゅうをあてていて赤くなるのが早いとか、遅いとか。悪い時もちゃんと言います。静かに喋らずにおきゅうをするのも勿論良いのですが、来て良かったと思っていただける様な声かけが何か出来ないかなぁと思っていつも考えています。

また次も来ていただきたいので、あて方も「前回はこうしましたけど、今回は少し変えましたがどちらが良かったですか?次回はこうしてみましょうか」と先の時のこともお話させてもらうようにしています。そうすると、次に来られた時にお客様から細かく体の状態をお話してもらえるので、何となくあてるのではなく、しっかりとポイントにおきゅうができるのではないかと思います。

今回、一番話がしたかったのは、うちの母の事です。
今、母は会員になって僕と一緒にびわきゅうをあてる仕事をしていますけれど、三年前までは強い鬱病でした。鬱の中でも大鬱ですね。自殺願望のあるような鬱です。母は今年還暦を迎えたのですが、五年ぐらい苦しみました。

発症したのは更年期がきっかけで、ちょうど子供が巣立っていく時期と重なって、ポンと一人暮らしになったんですね。はっきりとは覚えていないのですが、何か変わっていきました。四角四面で今日の事は今日する人だったのがしなくなって、おかしいと思っていたら、「更年期なんよね」と言っていて枯れるように変わっていきました。

病院に行って鬱病の薬を一錠二錠と飲んで、一年後には朝晩一回六錠飲んでいました。
薬って怖いと思ったのが、話しかけても無反応の母が薬を飲んで二,三〇分後には普通に動いていた事です。おかしくなりだしたと思ったのは、留守の間にテーブルの上にコンビニの袋やパンが散乱していて、母に聞いても心当たりが無いと言うのです。味噌汁を作ろうと空鍋に火をつけて寝てしまっていたこともあります。
これは危ないという事で、僕も当時無憂扇会のスタッフとしてこちらに来て家を空ける事も多かったので、妹達とも連携して出来るだけ誰かが一緒にいるようにしました。薬を飲んで無意識に外を歩く事もあったので、ブロックを買ってきてドアが開けられないようにしたり、ガスの元栓も閉めました。

母をどうにかしたいと思っておきゅうをしたり、踏み込みをしたりしていたんです。
その時は気持良いと言うのですが、気持ちが下がり過ぎていて、元気になろうという気持ちが立ち上がってこないのです。「どうせ私はあかん」みたいな事をずっと言うので僕まで鬱になりそうになりました。

ある日、家に帰ると薬を大量に飲んで紙に家族の名前を書いてさようならと書かれていて、びっくりして体に触ると生きていたという事もあります。薬を管理しなければと、朝の薬はここ。夜の薬はここと、一回ごとに薬の置き場所を電話で教えました。

変わったきっかけはびわの種だと思います。母は美容師だったのですが、仕事が出来なくなって、びわの種を飲むことを仕事だと思って飲んでもらう事にしたのです。
毎日、生活リズムに種を飲む事が頭に入るまで話をして飲んでもらいました。飲み始めて二年から三年になった頃に毎月一回病院で採血をするのですが、血液の数値が良くなってきたのです。

本来はずっと大量の薬を飲んでいるので、副作用で、色々な臓器に負担が出てもおかしくないのに。それで本人が、びわの種を飲むと元気になるかもと思ったのです。良くなりだして更に二年後には、血圧が高めだったりしたのも下がり、血液の状態が家族の中で一番良くなりました。
三年前にハローデイの新宮店にびわきゅうの店を出す話になって仕事を請ける気持ちはあったのですが、先日亡くなられた会長さんと二人で話した時に、まだ母は目が離せない状態だったので、自分は長男なので面倒をみないといけないと事情を話すと、「掃除のおばちゃんからやってみれば」と快く受け入れて下さいました。

女の人は話が好きで、美容師をしていたのでお客様が来ると咄嗟に話し出すのです。その時に世間に出さないといけないなぁと思いました。そのうちに元気になって来てびわきゅうの勉強をしてもらって、今は一緒にびわきゅうの仕事をしています。
お客様はやっぱり女性が多いじゃないですか。なので、最近僕よりも人気があります。でも、僕が一人で仕事をしているより女性が一人いると雰囲気が柔らかくなるし、お客様も安心するようで本当に助かっています。

僕が一番思ったのが、あてれば何とかなるという事と若い人達は話しかけを勉強されると良いと思います。
僕もまだまだ出来ませんが。

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